mixi日記2010/02

ブラウザ三国志日記

2010年02月02日00:43

同盟員の

そばの領地を探っていたら

(-464,49)

所有者 KALEEEN

まさかな・・・。




惰性

2010年02月07日21:27

アクセルワールドは惰性で買ってるだけだと自覚して売り払ったのだが、4巻が並んでいるのを見て惰性で購入。俺だせえ。


そういや最近圧力鍋にも手が出ない。


ついつい本を読むのに時間取られて前よりは知的になったかと勘違いし掛けるが実際には他人のソフトを吸うのに躍起で己で吐き出す事から逃げている。


色々流されてるなぁ。




soiuya

2010年02月08日00:56

HPなんかあったんだな・・・(とかいうていたらく)

微妙に更新して疲れた。主にゆうたくん方面。いつになったら完成するのだろうか・・・




さーて

2010年02月11日21:42

今から土曜まで姉レスの生活!

エロDVD見放題だな!




ようじょ

2010年02月12日23:42


ではなくて。

(冷静に考えれば当たり前のことなのだが、)

もう何年も少女誌を読んでなくて、さっきスーパーの雑誌売り場でふと目に入ったなかよしの表紙を見て違和感を覚えた。


なんかのいぢみたいな絵でハルヒのセリフみたいなタイトルの漫画が新連載かなんかで表紙に。(注1)


少女漫画、特になかよしなんかはそういう安っぽさとかとは無縁であってほしかったのだが、

まぁ冷静に考えるとなかよしもきんぎょ→せらむん→レイアースのコンボで商業主義丸出しに方向転換してたんだな。

単に僕がせらむん辺りで読むの止めて花ゆめにシフトしてたからたから気づかなかっただけなのだ。

(きんぎょはギリギリ姉が買ってた頃だったので読んだ。実はアニメは違和感があって余り好きではなかった。)


でもなんというか竹本泉のデビュー直後くらいからから読んでた人間としては複雑ではあるのだ。

アニメ化が悪いとかではないのだが、テンプレどおりのハンコみたいなのは少年誌でやってほしいんだよな。なんとなく。

少女漫画ってどっか男が読む時はイケナイコトカイ?ってどきどきしながら手を伸ばす秘密の花園であってほしいのだ。

まさかポーキュパインのひうらさとるの漫画がドラマ化されるなんて!

と驚いちゃうくらいの知ってることが秘密のドキドキ感であってほしいのですよ。(注2)

まぁ、オッサンの懐古でしかないのですけれども。


ソフト側で要素を入れることは進歩につながるのだろうし、(よしんば劣化しか生まなくても、そこを乗り切ればその劣化を込みで思考した次の世代は新しい文体を生み出すのだし)それはいいのだけれども、

ハードというかマーケットとしての少女漫画、文化(というと大げさでニュアンスもずれるが敢えてこう言う書き方をする)としての少女漫画の在り様自体を少年誌的にしてしまうのってどうだったんだろう。(注3)

多分ビジネススタイル、なんて言葉すらなかった業界がそういう概念を持ち込まれたときに、骨組み構造さえ他のジャンルに右へ倣えをしてしまったらそれは少女漫画側から見たら一瞬多様化にみえるんだろうけど、

漫画全体から言ったら画一化に進んでるっちゅーことになりはしないか。

解りやすいアイコンを作ってアニメ化して儲かって、じゃぁその方向でバンダイさんの企画に則って・・・ってその方法論じゃぁ竹宮恵子も萩尾望都も佐々木倫子も美内すずえも生まれねーと思うんだよな。


キャラ以上に作家、あらすじ以上に内面、記号としての絵より情感、

そしてクローズド感が強い故に高く磨かれるものも一方、メジャーで生まれ得ないような心に残る畸形も一方にあってってのが(男の)少女漫画読みの愉しみ方だったんじゃないかと僕は勝手に思うのだ。


そもそも竹内直子はそういう意味じゃ少女漫画家としては「落ちこぼれ」だったし、ウテナは《なかよしじゃないが》アニメを期待して漫画を読むとがっかりする部分もあるが少女漫画としてはあれでいい、のだしCLAMPやPEACH-PITはそういう意味では別に「少女漫画」ではない。少女漫画であることが正義ではないのでべつに少女漫画界の出来事としてそういう邂逅があったというのは別にいいのだ。

花ゆめ系につてはかなり前から別物だったから問題なし。シュガシュガルーンの、作者が両方携わった上での原作とアニメのあの相違はよかったと思う。


でもまぁ、今の「せらむん以降のビジネスモデル」のおかげでおじゃ魔女とかマイメロとか(見てなかったがプリキュア1作目)みたいなおもろいものが生まれた訳で、一概に全てを断じることなんて出来るわけも無いのだが。

とにかく、「僕の好きな少女漫画界」は死んだように思えてしまう。

(偉そうに!!!)


なきゃ作るしかないのか。


注1:誤解のないように言っておくと、ハルヒはなんだかんだ言って今結構好きな方だし、のいぢも別に嫌いじゃない。。ハルヒ「ぽい企画」とかのいぢ「っぽい絵」を安易にやってしまう浅ましさと、「少女漫画らしからぬアニメ臭さ」が嫌なのだ。

注2:干物女とかホタルノヒカリとかですか。パラダイスカフェくらいまでは読んだ気がする。

注3:少女漫画の今、を憂いているのではなくこうなってしまった原因であろう20年前をいまさらぐちぐち言っているので過去形で正しい。




アッパレ!

2010年02月21日00:15

最終回を迎えたシンケンジャー、

すこし興奮醒めたところで久々に1話をみたらちゃんと繋がってた。

一年間一本背骨の通った物語になってたのだ。

やっぱ靖子にゃんすげぇな!


一人のときは子供っぽくてまだ板についてないない殿キャラ。

演技初めてでキャラ作りもまる1年模索してる初々しさすらも、

「家臣とか時代錯誤なんだよ」っていうセリフとかとセットになることで、

「影であること」へのモヤモヤを抱えた20前後の「なんだかんだいっても普通の若者タケル」が急に(巻き込みたくなかった)家臣を持たされ取らざるを得なかった「精一杯の殿様スタイル」として生きて来る。

(新人にしちゃあそこそこうまかったってのもあるとは思うが)

年明け展開にきちんとぎゅっと集約されて来てるんだなぁ。


龍騎、電王と野心作をつないでここに至った靖子にゃん。

ライダーよりもお約束の多い戦隊フォーマットだからこそ却って綺麗に区切り、整理され、ドラマとしてまとまりが出たんだろうなぁとかいうのは勝手な想像かもですけど、表層の「あらすじ」はあまり複雑にしすぎずに、物語も基本の大柱はタケルを中心とした


・外道衆を倒す大目標、当主しか使えない封印の文字→実は影

・十臓との対決→タケルの内面の推移、葛藤→ずっと仲間と爺はいたんだぜ


に絞って、あとはその周囲の人間模様としての5人と太夫、シタリ、アクマロって構造。

細かすぎる設定やら必要以上の自分探しやらは排除して、(悩まないアホウとかではない。むしろ5人とも考え悩み、そして克服していた)6人の距離感を、

それ自体は特撮ヒーローのセオリーに則った一話ごとのエピソードとそこで語られる「ともすればありがちないい話」の要素をきちんと拾う形で少しづつ丁寧に近づけ、心開いていく描写の数々。

とにかく物語として芯が通ってブツ切り感のない作品でした。


次はまたライダー一年やってくんないかな。

アニメもここまでにやってはいるし、いきなりガンダムとかでもおもろいかも。とにかく一年どっぷり小林靖子の長いのを観たい。

なんにせよコレをやり切った靖子にゃんの次の作品に更なる期待をしちゃうのです。


つーことで映画イクデスヨ!

こぐまさん・移設

仮住まいになるのか、このままなのか未定ですがひとまず。 (2019.3.12)